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東京地方裁判所八王子支部 平成7年(ワ)1412号 判決

原告

甲野太郎(仮名)(X)

右法定代理人親権者父

甲野一郎(仮名)

右法定代理人親権者母

甲野花子(仮名)

右訴訟代理人弁護士

池末彰郎

被告

武蔵野市(Y)

右代表者市長

土屋正忠

右訴訟代理人弁護士

中村護

林千春

永縄恭子

被告指定代理人

渡辺文雄

竹山正裕

田上博之

檜山啓示

西福二郎

主文

一  被告は、原告に対し、金四五七万二三七八円及びこれに対する平成七年五月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを四分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金一九二一万八〇五二円及びこれに対する昭和六〇年一二月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告は昭和五五年一〇月二日生まれの男子児童であり、甲野一郎は原告の父であり、甲野花子は原告の母である。

(二) 被告は東京都武蔵野市境南町二丁目二〇番一七号において境南第二保育園(以下「本件保育園」という。)を経営している。

2  幼児保育委託契約

原告の両親は、昭和五六年四月ころ、被告との間で、原告のために、幼児保育委託契約を締結し、原告は昭和五六年四月から昭和六二年三月まで本件保育園に通園した。

3  本件事故の発生・態様等

原告は、昭和六〇年一二月六日の保育時間中である午前一〇時二〇分ころ、クラス全員で本件保育園の園庭において鬼ごっこをしていたところ、鬼役の園児に追われて玄関に並行に走って逃げていた際、鬼役の園児に背中を強く押されて転倒し、本件保育園の建物玄関前のタイルレンガ製の玄関ポーチ(以下「本件ポーチ」という。)の角に前額部を衝突させた(以下「本件事故」という。)。

4  責任原因

(一) 玄関前の段差の設備上の瑕疵

(1) 本件ポーチは園児が常時頻繁に出入りする場所である上、園児の遊びと運動の場である園庭と直接接しているので、被告は、園児の安全を考慮して、本件ポーチと園庭の間には段差を設けずスロープにするか、少なくとも地盤面から二、三センチメートル程度の段差にとどめるべきであり、ポーチの材質及び形状も園児が衝突しても負傷しないものを選択すべき注意義務がある。それにもかかわらず被告は、これを怠り、本件ポーチと園庭との間に約一六センチメートルの段差を設け、しかも、本件ポーチの園庭側の部分につき、「クリンカータイル」と呼ばれる強度が強く、角は鋭利なままで丸くなることのない焼過赤レンガを選択して使用したものであるから、被告には注意義務違反がある。

(2) そして、少なくとも本件事故の一年前には本件保育園の玄関前の段差において、園児が頭部を縫う事故が発生していたのであるから、被告は本件段差の危険性を予見し得た。

(二) 保母の配置人員の不備

(1) 本件事故当時、原告ら二〇名の四歳児クラスの園児が担任保母である早川郁美(以下「早川」又は「早川保母」という。)の監督の下に園庭で鬼ごっこをしていた。鬼ごっこは追跡と逃避からなるが、勢いのついた園児同士が直接に体を接触させるため、転んだり衝突したりする蓋然性の高い危険な遊戯である。かかる危険な遊戯を園児二〇名という多人数でしかも広い園庭で実施する場合、一人の保母では十分注意がゆきとどかないから、被告には保母又は職員一名を増員する注意義務があったのに、これを怠ったのであるから、被告には安全配慮義務違反がある。

(2) 原告の所属していた四歳児クラスは、保母一人で二〇名の園児を保育していた。右の保育体制は、満四歳以上の幼児については、概ね三〇人につき一人以上の保母を配置する旨規定する児童福祉施設最低基準(厚生省令)を満たしているとしても、右基準は敗戦直後の昭和二三年一二月に制定されたかなり低い水準の最低基準であるから、右最低基準を守っている限り安全配慮義務違反がないというものではない。保母の人員配置は当該クラスの特性、保育時間、保育内容、園舎や園庭の構造等を総合考慮して、適正な保育を施すという観点から決すべきである。本件において、原告が在籍したクラスは男子園児の多い活発なクラスで、原告が〇歳の時入所してから五歳児クラスに至るまで、四歳児クラスに在籍した時を除き、担任保母はずっと二名であったことからも、本件事故時における被告の配置人員は不十分といえるのであり、被告には安全配慮義務違反がある。

(三) 担任保母の注意義務違反

右(一)及び(二)で主張した本件ポーチの直角の段差の危険性と鬼ごっこの危険性よりすれば、園児を事故から守るため、担任保母である早川は段差のある本件ポーチに近づかないよう園児に注意し、右ポーチに近づこうとする園児がいれば遠ざける措置をし、かつ、鬼ごっこの仕方についても園児同士で強く押したり、乱暴につかまえたりしない等安全に鬼ごっこを実施できるように細かく園児に注意すべきであった。しかし、早川保母は右注意をしなかったのであり、被告の履行補助者としての安全配慮義務違反がある。

仮に、早川保母が原告に対し玄関内に入らないように説明をしたとしても、右は単なるルールの説明にとどまり、本件事故の防止策になりえない。もっとも、原告は玄関内に入ってもいなければ、玄関に向かって走ってもおらず、園舎のベランダに沿って走っていたのであって、早川保母の説明に反した行動は一切取っていない。

(四) 以上により、被告は民法四一五条の債務不履行責任を負う。

5  傷害の部位・程度

(一) 原告は、本件事故により、前額部に長さ約三センチメートル、深さが骨にまで達する裂傷を負い、直ちに十数針の縫合手術を受け、昭和六一年三月六日まで通院治療を受けた。

(二) その後、右傷痕は残り、事故後九年以上経過した現在でも眉毛のすぐ上の前額部に約三センチメートルの線状痕が残っている。右痕跡は消えることはなく、逆に、皮膚組織のひだの流れに逆らった斜めの傷であるため将来更に目立つおそれがある。

(三) 右傷痕は、非常に目立つ前額部という場所にあること、長さ及び深さも相当程度のものであること、将来も消えることがなく、むしろ、より目立つおそれのあることを考慮すると、右顔面醜状後遺症は自動車損害賠償保障法施行令第二条別表後遺障害等級表第一二級一三号の「男子の外貌に著しい醜状を残すもの」に当たると評価すべきである。

6  損害

原告には前記5の傷害及び後遺症により以下の損害が生じた。

(一) 後遺症による逸失利益 一三八五万八〇五二円

原告は本件事故当時五歳で、一八歳から六七歳まで稼働可能であり、その間の男子労働者の平均程度の収入をあげ得た(年間五四九万一六〇〇円)ところ、前記後遺障害によりその収入の少なくとも一四パーセントを喪失した。そこで、原告の逸失利益を新ホフマン式計算法により中間利息(係数一八・〇二五)を控除して計算すると、本件事故当時の損害額は一三八五万八〇五二円となる。

(計算式)

五四九万一六〇〇円×〇・一四×一八・〇二五=一三八五万八〇五二円

(二) 後遺症慰謝料 二七〇万円

後遺障害等級表第一二級に対応する慰謝料は二七〇万円が相当である。

(三) 通院慰謝料 六六万円

三か月間の通院に対応する慰謝料は六六万円が相当である。

(四) 弁護士費用 二〇〇万円

原告は被告に対し民事調停を申し立てたが、被告は誠意ある回答をせず、原告訴訟代理人に委任して本件訴訟を提訴せざるを得なかったので、被告は右(一)ないし(三)の損害の一割強に当たる二〇〇万円を弁護士費用として賠償すべきである。

(五) 以上(一)ないし(四)により、原告に生じた損害の合計は一九二一万八〇五二円となる。

7  よって、原告は被告に対し、前記4の債務不履行による損害賠償請求権に基づき損害賠償金一九二一万八〇五二円及びこれに対する本件事故の翌日である昭和六〇年一二月七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)(二)の事実はいずれも認める。

2  同2のうち、原告が昭和五六年四月から昭和六二年三月まで本件保育園に通園したことは認め、その余は争う。

原告が本件保育園に通園するようになったのは、被告が、児童福祉法第二四条に基づき、原告につき保育に欠けるところがあると認め、本件保育園への入所措置(行政処分)を採ったからであり、原告の両親と被告の間に幼児保育委託契約は存在しなかった。

3  同3のうち、原告が鬼役の園児に背中を押されて転倒したことは否認し、その余は認める。

原告は鬼役の園児に追われて、園庭を玄関に向かって走ってきたが、本件玄関のたたきの少し手前で自分で足をもつれさせ転倒したものである。

4(一)  同4(一)(1)のうち、段差が約一六センチメートルであること、ポーチの材質がタイルであることは否認し、その余は認める、設置に瑕疵があったとの主張は争う。段差は概ね一〇センチメートルであり、材質は赤レンガである。

同4(一)(2)は否認する。

(二)  同4(二)のうち、早川保母が原告ら園児(ただし人数は一九名である。)の鬼ごっこの監督をしていたことは認めるが、保母配置人員の不足及び保育体制の不備の主張は争う。

(三)  同4(三)は否認する。早川保母は鬼ごっこの開始に当たり、原告ら園児に対し、鬼ごっこは園庭のみで行い、玄関内に入らないようにとの注意を与えていた。

5(一)  同5(一)のうち、原告が本件事故により前額部に長さ約三センチメートルの傷を負ったことは認めるが、その余は不知。

(二)  同5(二)は不知。

(三)  同5(三)は争う。傷の部位は、額の正面部分であり、前髪を降ろせば傷痕を隠すことができるし、再手術によって傷痕を目立たなくすることも可能である。

6  同6は争う。

三  被告の主張

1  玄関前の段差の設備上の瑕疵について

(一) 本件ポーチと園庭との段差について

本件ポーチと地盤面との高低差は設計図上一〇センチメートルであり、実際にも、一部一五センチメートル程度の部分があったとしても、全体としてみれば段差は地盤面から一〇センチメートル程度であったといえる。そもそも建物の玄関前のポーチは、雨水や砂等が屋内に入り込まないようにすると共に、屋内と地面との高低差を段階的に解消するために、一般の住居やその他の建物において通常設置されるものであり、本件保育園でも同様の必要性から設置した。子供たちを取り巻く、保育園以外の生活環境においても段差は至るところに存在する以上、保育園での生活においても、子供たちに段差を段差として認識させ、足をしっかり上げて段差を昇る経験を日常的にさせることにより、段差に対する対処の仕方を自然に体で覚えさせることが重要である。この点からすれば、スロープにして段差を解消するより段差を設けたままの方が有用である。

保育園施設の段差については、法令上の規制はない。階段については、小学校に準じて蹴上がりの高さを一六センチメートル以下にする旨の規制があるのみである。むしろ、段差の高さを地盤面から二、三センチメートル程度とすれば、かえって子供たちは段差があることを意識しなくなるので、つまずきやすくなる。

以上によると、仮に原告の主張するとおり、本件事故当時、本件段差が地盤面より一六センチメートル程度高かったとしても、このような段差を玄関前に設置したことには、何ら設備上の瑕疵はない。

(二) 本件ポーチの段差の材質及び角の保護措置について

本件ポーチは、水平部分に小口レンガタイルを用い、ポーチの端部分(段鼻)にのみ焼過赤レンガを使用しているが、この方法は一般の建物でも通常行なっているものである。仮に、段差の材質が木のすのこ等の木材であったとしても、額を角にぶつければ皮膚が裂ける場合はあり、また、焼過赤レンガより硬度の低いものであったとしても、皮膚の裂傷という本件結果を回避できたか疑問である。

本件ポーチの段鼻部分の保護措置に関して、保育園施設においては、高校等の施設に比べ安全面での配慮がより求められるとしても、保育園施設にも一般の建物と同様、段差や角は至るところにあるのであって、その全ての角を丸く加工したり、弾力性のあるビニールを貼付する等の保護措置を施すことなど到底不可能である。

以上により、室内の階段など特に園児が転倒しやすい場所では、角につき保護措置をすべきであるとしても、園舎外の一段のみの段差で、しかも周囲に十分なスペースもある本件段差につき、特に保護措置を施していなかったからといって保育園施設としての安全性に何ら欠けるところはない。

2  保母の配置人員について

厚生省令の児童福祉施設最低基準は、児童福祉法四五条に基づき、児童を心身ともに健やかに育成していくために、児童福祉施設の設備、運営上全国的に確保されるべき基準として定められたものであり、右基準を満たしていれば、安全配慮義務は最低限果たしていることになる。そして、各地方自治体は右最低基準を満たした上で、更により望ましい保育を実施すべく、各地方自治体の予算が許す範囲内で右最低基準に上乗せする形で保母を増員し配置している。昭和六〇年当時、被告においては、四歳児クラスにつき、国や都の基準を上回る、園児二八人につき保母一人という配置基準を定め、更に本件では、被告の配置基準をも大幅に上回って園児一九名に一人(原告の主張によっても二〇名に一人)の保母が配置されていたのであるから、保母の配置人員につき、被告に安全配慮義務違反はない。

右最低基準及び被告の設定した保母の配置基準を満たした上で、残りの保母をどのように配置するかは、各保育園が、自主的に決定すべき事柄であり、本件保育園においても、毎年保母の配置体制を決めていた。本件事故当時、三歳児クラスと五歳児クラスに障害児がいたので、それらのクラスに二人の担任保母をつけたことにより、原告が当時在籍していた四歳児クラスの担任保母が一人となったものであり、一方、原告が五歳児クラスに在籍するようになった時は、就学を控え大変だということと、クラスに障害児ではないが気になる児童がいたため、担任保母を二人としたものであって、原告が四歳児クラスの時だけ担任保母が一名であったことに、何ら安全配慮義務違反はない。

また、鬼ごっこは鉄棒や跳び箱等と異なり大人の補助・介助を必要としない遊戯であるから、保育園の園庭内で鬼ごっこを行うことは、保母を増員すべき事情には当たらない。

3  担当保母の注意義務違反について

早川保母は、鬼ごっこを始めるに当たり、鬼ごっこは園庭のみで行ない、玄関には入らないこと及び鬼役の子は捕まえる子を押さないこと等の注意を与えていたが、原告は右注意に反して、玄関に向かって走り、自ら足をもつれさせ転倒したのであるから、早川保母には注意義務違反はない。

4  過失相殺

仮に、被告に何らかの過失責任が認められるとしても、本件事故は、原告が不注意にも本件ポーチの方に走っていき、思いがけず転んだことに大きな原因があるから、相当の過失相殺をすべきである。

四  被告の主張4に対する認否

否認する。

第三  証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

理由

一  請求原因1(一)(二)の各事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  請求原因2(幼児保育委託契約)について

1(一)  請求原因2のうち、被告が原告に対し、児童福祉法二四条に基づき、本件保育園への入所措置を採ったこと、原告が昭和五六年四月から昭和六二年三月まで本件保育園に通園したことは当事者間に争いがない。

(二)  児童福祉法二四条(平成九年法律第七四号による改正前のもの。以下同じ。)は、「市町村は、政令で定める基準に従い条例で定めるところにより、保護者の労働又は疾病等の事由により、その監護すべき乳児、幼児……の保育に欠けるところがあると認めるときは、それらの児童を保育所に入所させて保育する措置を採らなければならない。」と規定する。入所措置には、保護者が居住地の市町村長(権限が委任されている場合は福祉事務所長)に保育所への入所を申請して行なわれる場合(児童福祉法施行規則二二条二項)と、市町村が保護者からの申請に基づかずに職権で保育に欠ける児童を保育所に入所させる場合(同法施行規則二二条三項)とがある。保護者の入所申請による場合、市町村又は福祉事務所長が、当該児童につき、保育所への入所基準に従って「保育に欠ける」か否かを判断し、「保育に欠ける」と判断した場合には、入所措置決定、又はその他適切な措置をすべき義務を負う(同法二四条)。被告においても、児童福祉法二四条及び同法施行令九条の三に基づいて、武蔵野市保育所入所措置条例、同条例施行規則が入所措置基準を定めており、保護者より福祉事務所長に保育所入所申請があった場合には、右入所措置基準に従い、保育に欠けるか否か、又保育に欠ける程度を判断して、保育を要する程度の高い児童から保育所定員及び年齢別定員を超えない範囲において、順次措置を決定する。そして、一旦入所措置が決定されても、措置要件に該当する事由が消滅した場合、即ち「保育に欠ける」状態が消滅した時には、保護者から入所辞退、又は、措置解除の申し出がなくとも、福祉事務所長は一方的に入所措置決定を取り消し(入所前)、又は解除(入所後)することができる(同条例施行規則八条一号、九条一号)。

(三)  〔証拠略〕によれば、昭和五六年当時、原告の両親は共に働いていたため、武蔵野市福祉部福祉事務所長に対し原告の保育所入所の申請をなし、同所長が調査をなした上、原告に対して入所措置を採ったことが認められる。

2  右(一)ないし(三)の各事実及び法令を前提に、原告と被告間の法律関係について検討すると、入所措置が保護者の保育所への入所申請に基づく場合、実質的には保護者の申請が幼児保育委託契約の申込み、市町村の入所措置の決定が右契約の承諾に当たり、その結果市町村と保護者の間に、第三者である児童を保育することを内容とする第三者のためにする契約が締結されたこととなると解される。すなわち、本件の場合、実質的には原告の両親による武蔵野市福祉部福祉事務所長に対する原告の入所申請が幼児保育委託契約の申込みに当たり、被告の入所措置の決定が承諾に当たり、これによって第三者である原告のためにする幼児保育委託契約が締結された、又はこれに準じる法律関係が形成されたというべきである。

被告は入所措置は行政処分であり、原告の両親と被告との間に幼児保育委託契約は存在しないと主張するけれども、被告が経営する保育所における保育の実施は権力的作用を伴わないいわゆる給付行政であり、入所措置によって発生する原告の両親と被告との間の法律関係は右に述べたとおり原告のためにする幼児保育委託契約又はこれに準じる法律関係と解することができるから、入所措置が行政処分であることは原告の両親と被告との間の法律関係が幼児保育委託契約又はこれに準じる法律関係であることを否定する根拠にはならない。したがって、被告の前記主張は採用できない。

三  請求原因3(本件事故の発生・態様等)について

1  前掲各証拠及び〔証拠略〕によると、本件事故の態様につき、以下の事実が認められる。

(一)  原告(昭和五五年一〇月二日生)は、〇歳より本件保育園に通園し、昭和六〇年一二月当時は同保育園の四歳児クラスに属していた。当時、右四歳児クラスの人員は一九名であり、担任保母は早川一名であった。

(二)  昭和六〇年一二月六日、四歳児クラスでは、早川保母の指導のもとに、午前一〇時ころから、園庭においてクラス全員で鬼ごっこを始めた。右鬼ごっこは鬼役の園児が他の子を追い掛け捕まえると、捕まった子が今度は鬼役になるというものであった。このようなクラス全員で行う鬼ごっこを同クラスでは、同年の秋頃より行っていた。本件保育園では、園庭で鬼ごっこをする場合、園舎の玄関内に入らないこと及び園舎の裏側(北側)に行かないことがルールとされていたため、当日も、早川保母は四歳児クラスの園児に右ルールを説明した上で鬼ごっこを始めさせた。

(三)  同曰午前一〇時二〇分ころ、原告は鬼役の子に追われて園庭を走りまわっていたが、段々と追いつめられ、玄関の方向へ逃げていって、本件ポーチの縁止と並行して走るかたちとなり、本件ポーチの少し手前で鬼役の園児に捕まりそうになったとき、原告は右鬼役の園児に背中を手で押されて足がもつれて倒れ、本件ポーチの縁止部分に前額部をぶつけて額に怪我を負った。その際、後ろから追いかけていた鬼役の園児も、原告の左横から倒れ込んだ。

2  被告は、本件事故は、鬼ごっこの最中、原告が自ら足をもつれさせて転倒した自招事故であると主張し、証人早川郁美の証言中にはこれに沿う供述部分があるけれども、早川保母が本件事故を目撃していた位置は、転倒地点から一〇メートルくらい離れており、鬼役の児童の手が原告に触れたか否かといった細部の瞬間的な出来事まで観察できたのか疑問である上、原告作成の陳述書の内容を併せ考えると、証人早川郁美の証言中前記供述部分は採用できず、被告の主張も採用できない。

四  請求原因4(責任原因)について

1  前記二のとおり、原告の両親と被告との間には幼児保育委託契約又はこれに準じる法律関係が存在するから、右法律関係の付随義務として、被告は保育に当たり児童の生命、身体及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負っているものである。このことは、厚生省令である児童福祉施設最低基準五条二項が、「児童福祉施設の構造設備は、採光、換気等入所している者の保健衛生及びこれらの者に対する危害防止に十分な考慮を払って設けられなければならない。」と定めていることからも肯定される。

2(一)  〔証拠略〕によると、以下の事実を認めることができる。

本件保育園は、昭和五三年四月に武蔵野市立の保育園として開園されたものであるが、敷地面積一二四二平方メートルで、右敷地の北側部分には、一階床面積が三八四・〇〇平方メートルの鉄筋コンクリート造二階建ての園舎が南向きに建てられており、園舎の南側には、六〇〇平方メートル余りの園庭があり、西側は道路に接している。右園舎の一階部分には、別紙図面のとおり、西側から事務室、玄関、二歳児室、便所、一歳児室、〇歳児室がならんでおり、玄関は事務室と二歳児室の間に位置し、かつ、玄関ドアは、事務室など一階の他の部屋の南側壁面より約一・七五メートル北側に奥まった所にある。一階の各部屋の南前面には園庭に面して奥行き約一・八五メートルのベランダが設置されており、玄関前には右ベランダの南縁の延長線までの距離約三・六メートル、間口約三・九メートル、地盤面との高低差約一五センチメートルの本件ポーチが設置されている。玄関前のポーチの水平部分は、小口レンガタイルが用いられ、園庭に接する本件ポーチの縁止部分には、「クリンカータイル」と呼ばれる焼過赤レンガが用いられていた。本件保育園の設計図上は、本件ポーチと園庭の地盤面との高低差は一〇センチメートルとなっているが、縁止部分のレンガの地上に出ている部分の大きさからすると、段差の高さは、およそ一五センチメートルである。縁止部分に用いられた焼過赤レンガは、一〇〇〇度以上の高温で焼かれた硬度の高いレンガで、角は直角で鋭利なままであった。本件事故後一か月程して、本件ポーチと園庭との間の段差は解消され、スロープ状態となった。

近隣の保育園や幼稚園においては、玄関前のポーチについては、段差をなくしたり(小金井市立ぴのきお幼児園、国立市立西保育園、国立市立矢川保育園、三鷹市立山中保育園、府中市立三本木保育園、府中市立北保育所、府中市立中央保育所)、木製のすのこを敷いたり(小金井市立小金井保育園)、スロープにしたりし(鶴川保育園)、園庭とベランダとの段差については、段差をなくすか、ごく僅かとしたり(三鷹市立あけぼの保育園)、斜面やスロープにしたり(国立市立西保育園)、ベランダについてはゴム製マット、カーペット、薄い木製すのこ、人工芝等を敷いたり(小金井市立小金井保育園、同市立ひがし保育園、国立市ママの森幼稚園)、ベランダの床に被覆加工をしたり角を丸くしたりし(府中市立中央保育所、江戸川区清新めぐみ幼稚園、ゆたか保育園)、なかにはこれらを組み合わせたりしている施設もある(国立市立矢川保育園、三鷹市立あけぼの保育園、三鷹市立山中保育園、府中市立三本木保育園、府中天神町幼稚園、鶴川保育園)。しかし、本件ポーチのような形状、材質を採用しているところは見当たらない。

(二)  右認定事実によると、本件ポーチは、園庭と接していて、園児が園舎への出入りに際して使用するほか、園庭で遊ぶ際にもその前を通ることが予想された上、園庭からの高さが約一五センチメートルあり、しかも縁止部分には角が直角で丸みのない、通常のレンガより更に硬い焼過赤レンガが用いられていたのであるから、園児が転ぶなどして縁止部分にぶつかった場合には、負傷するおそれがあり、ぶつかり方によっては重大な負傷事故が発生する可能性もあったものというべきである。また、保育園の児童は、いまだ危険状態に対する判断能力や適応能力が十分ではないため、保育園の保母から一定の注意を受けていたとしても、そのような指導に従わなかったり、あるいは遊びに夢中になるうちにそのような注意を失念したり、危険性の認識を欠くなどして、危険な場所に不用意に近づく児童もいないとは限らないのであって、保育所の設置に当たっては、このような園児の行動様式も考慮して、安全な構造、設備を選択すべきである。園児が園庭や玄関前のポーチで転び、その結果園庭、玄関前のポーチ、その縁止部分等に体の一部をぶつけることは必ずしも珍しいことではなく、むしろ当然予想されることであるから、これらの構造、設備はそのような場合でも些少の打撲傷等は格別、重大な負傷を生じないような形状、材質でなければならず、もしこの要件を欠く構造、設備を設置した場合は、その構造、設備は園児の危害防止に十分な考慮を払って設けられたものとはいえないというべきである。

前記認定のとおり、本件ポーチは園庭に接しており、園児が園舎への出入りに使用するほか、園庭で遊ぶ際にもその前を通るのであり、したがって、本件ポーチの付近で転んだりすることも通常予想されることであるから、被告は、本件ポーチと地表面との間の段差を斜面にしたり、段差を設けるにしても本件ポーチの縁止部分の角を丸くしたり、本件ポーチの床に木製のすのこや人工芝、カーペット等を敷いたりするなど、園児が重大な怪我を負わないような措置を採るべきであったのにそのような措置を採らず、本件ポーチと地表面との間の段差を放置していたのであるから、被告には、本件ポーチの設置又は管理の点において安全配慮義務違反があったというべきである。

3  被告は、保育園施設においても段差や角は至るところにあり、そのすべてに保護措置を施すことは不可能であり、園舎外の一段のみの段差で周囲に十分なスペースのある本件ポーチの縁止部分に保護措置を施さなかったからといって保育園施設として安全性に欠けるところはない旨主張する。しかし、本件ポーチの位置や利用状況、園児の年齢や判断能力等からすれば、本件ポーチの縁止部分の段差が形状、材質の点において保育園施設として十分な安全性を備えていなかったことは右1、2において認定説示したとおりであり、他方、段差を斜面にしたり、本件ポーチの縁止部分に保護措置を施すことは被告に予算的にも技術的にも著しい負担を強いるものではないことを考慮すると、被告の主張は採用できない。

被告は、園児らに段差を段差として認識させ、段差に対する対処の仕方を自然に体で覚えさせることが重要であると主張するけれども、そのような考え方を採った場合でも、園児が転倒するなどした場合に備えて段差の材質や角の保護措置について十分な配慮がなされるべきであり、そのような配慮がなされていない場合には、安全配慮義務に違反しているというべきである。そして、本件ポーチと地表面との段差が保育園施設として十分な安全性を備えていなかったことは既に述べたとおりであるから、被告の右主張は採用できない。

さらに、被告は、本件ポーチが木製のすのこ等であったとしても同様の結果が予想されるとして、本件ポーチの縁止部分の材質が焼過赤レンガであったことと原告の傷害との因果関係を疑問視するけれども、木製のすのこ等と角が直角で鋭利な焼過赤レンガとでは衝突した場合の負傷の程度が異なることは経験則上明らかであるから、被告の右主張も採用できない。

4  被告は、本件事故は原告が自ら転んだことが原因であり、原告の一方的過失に基づくものであるから、被告には責任がない旨主張する。しかし、前記三1認定のとおり、原告は鬼役の園児に背中を手で押されて倒れたものであって、自ら転んだことが本件事故の原因ではない。仮に原告が自ら転んだことが原因であったとしても、園児が保育園内で転ぶことは通常ありうることであって、園内の施設は、そのような事態を前提にした安全性を備えるべきであるから、原告が自ら転んだことをもって、被告が安全配慮義務の観点から必要とされる措置を採るべき義務を免れることにはならないというべきである。

5  原告は、被告の安全配慮義務違反の内容として、保母の配置人員が不十分であったこと(請求原因4(二))及び担任保母の注意義務違反(請求原因4(三))をも主張するけれども、前掲各証拠によっても、園児一九名の四歳児クラスに保母が一人しか配置されなかったこと、及び早川保母が本件ポーチに近づこうとする園児がいれば遠ざける等の措置をし、かつ、鬼ごっこの仕方についてもより細かく注意すべきであったのにそれをしなかったことが安全配慮義務に違反するとは認められず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

6  以上により、本件ポーチの設置又は管理には安全配慮義務違反があるというべきであるから、被告には原告が被った後記損害を賠償すべき義務がある。

五  請求原因5(傷害の部位・程度)について

〔証拠略〕によると、原告は本件事故により、前額部に長さ約三センチメートルの裂傷を負い、吉祥寺整形外科医院で縫合手術を受け、昭和六一年三月六日まで通院治療を受けたこと、現在前額部のほぼ中央に約三センチメートルの斜めの線状痕が残っていること、眉を寄せると傷痕の部分がへこみ、目立つことが認められる。また、〔証拠略〕によると、労働者災害補償保険法の後遺障害等級認定の実務においては、後遺障害等級表第一二級一三号の「男子の外貌に著しい醜状を残すもの」とは、顔面部にあっては「鶏卵大面以上の瘢痕、長さ五センチメートル以上の線状痕又は一〇円銅貨大以上の組織陥凹」に該当する場合で、人目につく程度以上のものをいうとされていること、後遺障害等級表第一四級一一号の「男子の外貌に醜状を残すもの」とは、顔面部にあっては「一〇円銅貨大以上の瘢痕又は長さ三センチメートル以上の線状痕」に該当する場合で、人目につく程度以上のものをいうとされていることが認められる。右事実によれば、原告の後遺症は、その瘢痕の部位、形状、程度及び原告の年齢等からすると、同表第一四級一一号に該当すると認めるのが相当である。

原告は右線状痕は前額部にある線状痕であって、将来も消えることがなく、むしろ、更に目立つおそれもあるとして、同表第一二級一三号の「男子の外貌に著しい醜状を残すもの」に当たると評価すべきであると主張するけれども、右に認定した事実に照らすと、原告の後遺症は後遺障害等級表第一二級一三号に該当すると認めることはできず、原告の主張は採用しない。

六  請求原因6(損害)について

1  後遺症による逸失利益 二七三万二三七八円

前記三、五で認定した事実によると、原告は本件事故当時五歳であったから、本件事故で受傷しなければ、一八歳から六七歳まで稼働し、その間男子労働者の平均程度の収入(年間五六七万一六〇〇円 賃金センサス平成八年第一巻第一表全年齢男子労働者平均賃金)を得ることができるものと推認されるところ、前記後遺障害により外貌が重要な意味を持つ職業に就くことは著しく困難になったといわざるを得ないし、また、多くの人の眼に触れる場所で働くことが要求される職業に就こうとする場合にも一定の不利益を受けることが予想されるなど、選択できる職業の種類が相当程度制限されることは否定できないから、原告は前記の外貌の醜状によってその労働能力の一部を喪失したものというべきである。そして、前記認定の原告の線状痕の部位、形状、程度、原告の年齢、性別等からすると、労働能力喪失率は稼働可能期間全体を通じて五パーセントと認めるのが相当である。そこで、原告の逸失利益をライプニッツ式計算法により中間利息を控除(係数九・六三五三)して計算すると、左記のとおり二七三万二三七八円(円未満切り捨て)となる。原告は、中間利息の控除方法について、ホフマン方式を採るべきである旨主張するが、本件においては、前記のとおり、原告が稼働可能な四九年間にわたり、一八歳の平均収入でなく、全年齢男子労働者の平均収入を得ることができると推認したこととの関係上、中間利息の控除方法としてライプニッツ方式を採用するのが合理的であると認められるから、原告の主張は採用しない。

(計算式)

ライプニッツ係数 a-b=九・六三五三

a 事故時五歳から六七歳までのライプニッツ係数 一九・〇二八八

b 事故時五歳から一八歳までのライプニッツ係数 九・三九三五

五六七万一六〇〇円×〇・〇五×九・六三五三=二七三万二三七八円

2  後遺症慰謝料 九〇万円

原告は前記の後遺症が残ったことにより著しい精神的苦痛を被ったものと認められるところ、既に認定した後遺障害の内容、程度、原告の年齢、性別、原告については後遺症による逸失利益が認められていること等を総合考慮すると、後遺症に対する慰謝料は九〇万円とするのが相当である。

3  通院慰謝料 五三万円

前記のとおり、原告は本件事故により前額部に裂傷を負い、縫合手術を受け、昭和六一年三月六日まで通院治療を受けたことにより著しい精神的苦痛を被ったことが認められるところ、前記五認定の原告の受傷の内容・程度、通院の期間等を総合すると、原告の通院による慰謝料は、五三万円とするのが相当である。

4  過失相殺について

被告は、原告が自ら転んだことが本件事故の大きな原因であり、相当の過失相殺をすべきであると主張するけれども、前記四4で述べたとおり、原告は鬼役の園児に背中を手で押されて倒れたものであり、また、仮に原告が自ら転んだことが本件事故の原因であったとしても、保育園内の施設はそのような事態を前提にした安全性を備えるべきであり、原告が自ら転んだことをもって過失とはいえないから、いずれにしても過失相殺の主張は採用できない。

5  弁護士費用 四一万円

弁論の全趣旨によると、原告は本訴の提起・遂行を原告訴訟代理人に委任し、相当額の報酬を支払うことを約したことが認められるところ、前記認定の本件事案の内容、本件訴訟の経過及び認容額等に照らすと、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用は、四一万円とするのが相当である。

6  以上のとおり、本件事故により原告が被った損害は、合計四五七万二三七八円となる。

七  結論

以上のとおり、原告の本訴請求は、原告が被告に対し債務不履行に基づく損害賠償として四五七万二三七八円及びこれに対する調停申立書が被告に送達された後であることが明らかな平成七年五月二六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条、六四条本文を、仮執行宣言につき同法二五九条を適用し、仮執行免脱宣言は相当でないからこれを付さないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 矢﨑博一 裁判官 中山節子 杉山正明)

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